明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

感性と顔面は同じ

美人やハンサムな人について、「あの人は、あの顔でしか生きたことがないのだから」
とよく思う。

ないのだから何?と言われるとアレなんだけど、もはや何だってそう。

あの顔でしか生きたことがないから、異性は自然と寄ってくるものだと思っている。
あの顔でしか生きたことがないから、ブスとは違った苦労がある。
あの顔でしか生きたことがないから、世の中の見え方がブスとは違う。

逆もそうで、
ブスにはブスにしか知り得ない世界の見え方がある。

それはお互い、死ぬまで(死んでも)取り換えっこすることはできない。
ひとつの顔面で、一通りの人生観しか味わえない。

これと同じで、感性も、死ぬまで一通りしか味わうことができない。

もちろん加齢で視力が落ちたりはするし、
訓練して何かを知覚する能力を鍛えたり、その解像度を上げることは後天的にできるけど、
根本的にその人自身の「感性」の「繊細さ」は、中々変わることはないんじゃないかと思っている。

分かりやすい話で言うと、私は絶対音感があるので、絶対音感がない人のように音楽を聴くことはできない。
「なんで分かるの!?」と言われても、「なんで分からないの?」としか言えない。

逆に私は共感覚はない。カメラアイもない。
数字に色がついて見えると言われても、その光景を想像することしかできないし、
見たものを全部記憶してしまう人の苦労は分からない。

 

前の記事に「ノイズの閾値」という話を書いたけれど、(ノイズというのは比喩で、視覚でも、聴覚でも、情報刺激でも)
閾値が高い(?よく分からなくなってきた)つまり相当やばいノイズじゃない限りノイズと見なさない人の、感性を、
羨ましくも恨めしくも思う。

鈍感だったらどんなに人生ラクだろう!

ノイズに対してもそうだし、人間関係や人との会話でいちいち要らんことを察してしまう感性に、いつも困らされてきた。

いいね!鈍感な人は!人生楽しそうで!

ここ数年、これ↑ばかり考えていた。周囲にいる自分と真逆のタイプの人たちを内心、憎んだりしていた。

でも本当はわかっている。人の感性を笑うな、というやつだ。

今まで自分が苦しめられてきた、主にこの聴覚と、敏感な感受性のせいで、
醜い、嫌だ、避けたいと思ってきた物事と同じ数だけ、
美しい、好きだ、もっと知りたいと思える物事があったということ。

これは素敵なことなんだと思うことにした。

人より感動できる。ただそれだけ。

弊害も大きいけど、死ぬまで取り換えることのできないこの感性と生きていく、決意というか諦めというか、
それを29歳で、ようやく固める覚悟ができてきた気がする。

 

そのおかげで、苦手なものを苦手ですと宣言するのにためらわなくなった。
変な人と思ってもらって結構です、というか変な人と思われた方が話早いな、くらいの勢いで。

私は映画は見られません。
ドラマもジャンル問わず無理です。
(映像・音・ストーリーの3要素は刺激過多)
テレビは穏やかなバラエティのみ。報道は避けたい。ドッキリ系とか絶対無理です。
私のいるところで人を叱責しないでください。

その代わり本は読みます。音楽も聴きます。人より頑張ります。
それでいいじゃん。

 

>これは素敵なことなんだと思うことにした。

と書いたけど、正確には、素敵だと思わないとやっていけない。

>羨ましくも恨めしくも思う

と書いたけど、正確には、自虐風自慢?心のどこかで"繊細な感性のほうが鈍感な感性よりも優れている"と信じていなければ、やっていけない。

だって辛いんだもの。

 

実際には私が鈍感と呼ぶ人たちは、不要な情報を切り捨てる"能力が高い"人たちである。

これはもはやいい悪い・優劣の問題では議論しきれない。

生まれた時に与えられた感性で一生懸命生きるしかない。顔と同じで。