明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

心療内科の快感(音楽好きの場合)

前の記事に、月1度の通院を「アミューズメント感ある」「好きなイベント」と書いた。

そして一昨日から読み始めたこの本が、めちゃくちゃ面白い。

www.kadokawa.co.jp

上記2点から導き出した、
私にとって心療内科へ通院することは快感であり、それは言うなれば
採譜をすることに似た快感である
という説が直近24時間で最大のひらめきである。

採譜というのは趣味でやっているバンド、それもコピーバンドにおいて
任意の曲の音源から各自自分のパートを耳コピし、再現演奏をするために譜面に起こすという作業であり、
コピーバンドに生きがいを覚える自分は、おそらく採譜能力は全国的に見ても上位数パーセントに入る自信がある。
ほど、好きな作業である。

世の中には本当に様々なレベル(再現度において)の音楽が存在し、
家からスタジオに着くまでの電車内で採譜し終える曲もあれば、
2時間かけてもどうしても聴き取れない1小節があったりもする。

採譜行為の本質は「分解」、もっと言えば「解剖」であり、
難しい曲になってくると、
1曲の姿をした様々な音をまるで丁寧に裸にしていくような、神聖な気持ちになることがある。
作曲者の脳の中を覗くような感覚とも言える。

当然ながら採譜をする前とした後ではその曲に対する(構造的な)理解度は段違いで、
それをさらに自分の指で再現できた時の知的・美的達成感は、エクスタシーとしか言いようがない。

というのと同じような快感を、診療内科に通うたび、味わっている。

1か月も休んだうえに上司や同僚に迷惑をかけておいて結構な言い草だと自分でも思うが、許してほしい。

自分の病状が変化するたび、それを主治医の先生に話すたび、先生から説明を受けるたびに、
自分が解剖されていくような奇妙な快感がある。

想像できますか?

ここ数日のこの不快感は、コレのせいか! それが副次的に引き起こしたアレが、今度はこっちに悪さをして、それを治すための薬がコレで、ただし副作用でこんなことが起きて…

先生と話すと、面白いくらいすべての点が線に繋がる。

未知から来る恐怖は既知になると途端に消える。
症状の苦しみ自体は消えなくても、苦しみの理由を知るだけで人はこんなに楽になれるのか、と驚く。

へぇ~人間の身体ってそんな風にできてるの!
(あくまで、身体。ないしは脳。決して「心」とはここでは書かない)

人間ってこんな簡単な理由でこんなにいろんなことができなくなるの!

昆虫に心を奪われたファーブル少年はきっとこんな気持ちだったであろう、そんな感じの純粋無垢で原始的な興奮が、毎度の通院で必ず得られる。

 

この思いを加速させたのが、先に挙げた書籍であり、
これは以前の記事に書いたTwitter
「大人になってから自分が発達障害かもしれないと疑う人は、仕事のストレスで軽い抑うつになって判断能力が落ちているだけ説」(要旨)
の発言主である借金玉さんの著書である。

著者本人が発達障害当事者であることから来る説得力だけでなく、本当に緻密にたくさんの発達障害者サンプルに取材を重ねたことが分かる、症状描写の具体的っぷりがものすごい。

これまで何冊も医者が書いた発達障害の本を読んできたけれど、それら全部で得た知識量を軽く超える収穫、というか興奮があった。

これ私じゃんと思うほど自分と似た症状も書いてあれば、「うわ~ADHDの人ってこんなにキツイんか」と同情してしまうような自分とは程遠い症状も書き連ねてあり、
自分の不勉強を恥じるとともに、
発達障害という人体の不思議について、知れば知るほど、面白くてゾクゾクする。

 

この本で感銘を受けたアイデアの数々については別記事で後述するとして、

30歳を目の前にして、これまでずっと関心を持っていたうつ病にかかり、一生分休んでリセットが完了したこのタイミングで、
うつ病発達障害という分野についてじっくり考え知識を蓄える時間を持てた喜びを、いま噛みしめているところである。

もっと知りたいし、勉強したい。症状はめっちゃつらいけど、気になって仕方のないうつ病という存在にポジティブに向き合えることに感謝しなければならない。