明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

筋肉の喜び

毎月、企画会議がある。
いやもう世の中に言いたいことなんかないよ~。
読者に伝えたいこととかもうとっくに言い尽くしたし…
(雑誌の編集者をしています)

というのが、「疲れた」「眠い」「腹減った」と同じような立ち位置にいる、自分の口癖。

もちろん本当に世の中に言いたいことがなくなってしまったら編集者としてお終いなので、アイデアが枯渇した時のほんの冗談なのだけど、

最近よく考える。世の中に言いたいことなんてあるのか?

もっと言うと、
世の中に言いたいことがある人しか、表現者になれない(なってはいけない)のか?

 

私は小学生の頃からとにかく文章を書くのが好きで、かつ上手であり、運よく仕事にすることができたので、
仕事でも文章を褒めてもらうことが時々(まぁまぁ)ある。

それを真に受けて一時期、コラムニストにでも転身しようかと考えたことがあったのだけど、
「は!自分は世の中に言いたいこと、特にないんだった」
と思い返して、すぐやめた。

文章書きと同じように褒めてもらうことの多いスキルとして、
鍵盤弾きがある。

こちらに至っては世の中への言いたいことのなさは100%! 単純に創作ができないだけとも言うが。

「あなたさんってなんでそんなに弾くの上手いのに、曲作りとかしないの?」
とはよく言われて、真剣に悩んだりもしたが、
創作能力もなければ、創作意欲もまったくない。

私がやりたいのはコピーだけ。好きな曲をコピーするのがめちゃくちゃ楽しいし、うまい。

これってなんだかいけないこと(というか、芸術を嗜むものとして不健全?)なような感じがして、戸惑っていたのだけど、

数年前に冨田恵一さんがテレビでこんなことを言っていて、すっと気持ちが晴れた。

 

ー冨田さんは楽曲のプログラミングだけでなく、ほぼすべての楽器演奏をご自身でやられていますが…

(視聴者:いやそりゃ自分でやった方が誰かに頼むより全部はるかに上手いからでしょ)

冨田先生:それはね、僕は演奏すること…筋肉の喜びというか。それが好きなので、自分でやってるんです。

 

筋肉の喜び! なんじゃそりゃ!

でも何て素敵な表現なんだろうと、じわじわと感動した。

それ以来自分の仕事や趣味でも適用させてもらっている。

 

特に伝えたいことがなくても、文章を書く筋肉の喜びを求めて、文章を書き続ける。
湧き出てくるメロディとか感情とか全然ないけど、鍵盤を弾く筋肉の喜びを求めて演奏をする。

それだけで表現活動の立派な動機になる。

幸いなことに(自分で言うけど)その二つの喜ばしい筋肉が、人よりちょっと発達していることを誇りに思うことにしよう。