明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

だだだって今夜は/作りたいもの

この夏、同じ映画を2回見た。

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いいパンフ

『映画:フィッシュマンズ

(東京での上映はほぼ終わったみたいなのでネタバレ書きます、見てない人はDVD化を祈りながら読み飛ばしてくれ)

 

自分の人生で今が最低だとして、
最高はいつだったかと考えたら、大学の4年間だった。

超超超ストイックだった感性ゼミも人生の財産だけど、
シャンソン研究会も同じくらい、大切だった。

私は慶應に入学が決まった時点から、「絶対にAPOGEEを輩出したユーロロック研究会に入るんだ」と決めていたので、
新歓期は迷わずユーロ研の部室を見に行った。ら、

時を経て(多分、10年くらい)悲しいことにユーロ研は、DJサークルに成り代わっていた(ように見えた)。

がっかりして他のサークルを探していた時にもらった、シャン研のビラ…好きなバンドの名前がびっしり漏れなく書いてある。
どころか、他は知らない名前ばっかりだ。

混乱した。
一般人で自分より音楽に詳しい人がこんなにいるサークルって何?
(高校ではたった1人のよく一緒にフェスに行った親友を除いて、音楽の話をできる人なんていなかったし、将来は音楽誌の編集者になると決めていたので、自分は相当詳しいんだと思い込んでた。
ちなみに"将来"っていうのはまだ来てないんだけどね)

APOGEE
椿屋四重奏
syrup16g
the band apart

Fishmans

小教室にライブを見に行って、すぐ入部を決めて、それから。

Fishmansが大好きな2人の先輩がいた。
このブログなんて絶対に読んでないだろうけど。

フィッシュマンズの話で盛り上がれるのが嬉しくて嬉しくて、
毎朝「空中」と「宇宙」を交互に聴きながら、遠い日吉まで通っていた。

みんなで野音に音漏れを聴きに行ったりもしたな。

卒業後もまた別の先輩に誘ってもらって、
高円寺だか吉祥寺だかのライブハウスで夜な夜なフィッシュマンズをデカい音で聴きまくる「フィッシュマンズ・ナイト」にも行った。

あのトリップ感は忘れられない。
「フロアをもっと熱く響かせて、yeah 朝まで回し続けて 帰りたくないから止めないで」を地で行く幸福感があった。

フィッシュマンズは私の人生とともにあった。
と思っていたから映画を見に行った。

ら、全然違った。
私はフィッシュマンズのことなんて何も知らなかった。

映画の中で何度も出てきた佐藤伸治のノート。
几帳面そうな字で「売れたい理由」お金がほしい。女の子にもてたい。

歌詞の横には、「大ヒット間違いなし❢❢」と歌詞の何倍もでっかい字で書いてあった。

それでもさっぱり売れなかったのが、当人たちには相当こたえていたらしい。

フィッシュマンズをそういう(商業的な)目で見たことがなかったから、ヴァージンミュージック期の売れない話には本当に驚いた。

 

それからもっと驚いたのは、サトシンくん(YO-KINGがそう呼んでいたらしい)はなんと、詞先で曲を作っていたらしい。

この部分ではUAの感嘆が素晴らしくて、

「ああ、やられそうだよ 何だかやられそうだよ もう、溶けそうだよ…っていう文章を先に作ってたってことですよね。信じられない」

↑ココは私もフィッシュマンズの全楽曲の中で一番好きな箇所で、ホントに信じられないし、ここに驚いて口ずさんでくれたUAにありがとうという気持ちだった。

正確にはここの前のピアノの間奏が一番好き。

もちろん原曲で。3:36秒、あとその直前のドラムのフィルも大好き。

youtu.be

 

苦悩しながらもレコーディングはとても楽しかったみたいで、よくもまあそんなに撮ってたなと思うくらいたくさんの、当時の映像が盛り込まれていた。

タバコを吸いながら2Lペットボトルをギターにして、「も~う知識はいらない!」ってだんだん尺を間違えながら気持ちよさそうに「MY LIFE」を歌っていた場面や、
ボーカルブースで全身を使って
「だだだって今夜は!だだだって今夜は!」
となぜか半音高いキーで歌っていた場面がとても好きだった。

(あとからパンフを読んだら、「土曜日の夜」は初代ギタリストの小嶋さんの作曲らしい。ついでに私が一番大好きな「woofer girl」はHAKASE-SUN曲。ホントにフィッシュマンズのこと、何にも知らなかった)

 

ある時、「100ミリちょっとの」がドラマのタイアップに決まったらしい。

その前の枠の主題歌はORIGINAL LOVEの「月の裏"側"で会いましょう」(欣ちゃんが間違えてそう言ってた)、
これがスマッシュヒット!
だから俺たちも「100ミリ」で売れるに違いない!

それがまたさっぱり売れなかったと、ORIGINAL LOVEに対する諦めのような皮肉のような羨望のような口調で話していた欣ちゃんの顔が忘れられない。

ORIGINAL LOVEが大変だった時期の話も、田島爺がライブでよくしてるからさ…)

 

売れる・売れないの葛藤や色々を経て、移籍してアルバムも何枚か出して、マネージャの女性にサトシンくんがこう話したらしい。

「僕たちの音楽はそんなに多くの人に理解されるものだとは思ってない。でも、誰かの人生を変えるくらいのパワーを持ってると思ってる」

この言葉に私はもう打ちのめされてしまって、2回目見に行った時は、この一言を聴きに182分間座っていたようなものだった。

そう簡単に多くの人に理解されないもの。
だけど限られた数の人たちには一生影響を与えるもの。

天才偉人の言葉を自分に置き換えちゃって恥ずかしいけど、私はこういうものを作りたくて、今の仕事を辞めるんだった。

そう思い出させてくれた。