目下、転職活動中である。人生初の。
イキってビズリーチ1本でやっているため全然忙しくないし、何より休職中なので面接も面談も入れ放題、
受験する会社について勉強する時間も人より多くとれているはずで、
かなり恵まれていると思う。
面接を2回受けた。
新卒の頃の就活でもそうだったけど、いわゆる志望動機を話すときに、
自分はこういうものが好きでこういう仕事をしたい、
こういう人のために働きたい
といったパーソナルな話に触れるのは当然のことだと思う。
が、それがなぜか、私はものすごく偏った内容を話してしまっているようで
「音楽大好きマン」に見えてしまうらしい。
(新卒の時もそうだった)
コンテンツを作る仕事、クリエイティブな仕事がしたいと思うときに
私の中で最も身近で精通している分野が音楽であって、
コンテンツ作りを志したおおもとのきっかけも音楽である、
ただそれだけなのに、話の引き出しとして話題に挙げただけなのに、
「この人は音楽の仕事がしたいんだなぁ」と思われてしまう。
「それだけ音楽がお好きなら、どうして音楽業界でなく当社を志望されたんですか?」
これもう何回聞かれただろう。
うっかり「たしかに!」と言いそうになったり、「どうしてでしょうねぇ」とか言いそうになる。
本当の理由(音楽業界を目指さない理由)は実はちゃんとあって、
それを話さないままいつも面接が終わってしまう。
本当の理由は、私が人生30年かけて気づいた理論に基づく。
「嫌いなモノができた時点で、そのジャンルに精通した証」という神理論。
たとえばファッションやメイク、もっと言うと、カメラマンが撮る写真の個性。
現職についた時点では、好きな服もなきゃ嫌いな服もなかった。
何でもよかった。
カメラマンごとの写真の違いなんて、何百回眺めても当時は分からなかった。
でも今は分かる。
私はここんちの服が好き。このブランドの服は売れてるのは知ってるけど、私は好きじゃないし読者に勧めたくない。
この特集なら絶対あのカメラマンさんの湿度で撮ってほしい。
とかがポンポンと浮かんでくる。
これって、目の解像度が高くなった証だから、気づいた時は自分の成長が嬉しかった。
逆にまったく造詣のない、たとえば絵画とか、盆栽とかは、スキも嫌いもない。全部同じに見える。
全部が同じに見えなくなった、個を個として認識できるようになったことは本当に強い。
話を戻すと、音楽については昔から好き嫌いが激しかった。
100回聴き続けても酔える曲がある反面、金もらってでも聴きたくない音楽って結構ある。
音楽については、耳の解像度が高くなってからもう長いわけだ。
だから自信をもって人に音楽の話をできるし、
「嫌い」があるから、仕事にする勇気は、ない。
ただそれだけ。
転職で受けるような会社が扱うコンテンツについて、
まだ目の解像度が足りてなくて自信がないとき、
つい私は自信のある音楽を引き合いに出して話してしまう節がある。
このせいで音楽大好きマンだと思われてしまう、と何となく自分の中で折り合いをつけた。
余談ですが、今はもう顔も見たくない大嫌いな奴に
たった一度だけ感謝したことがある。
「好きなモノをずっと好きでいられるお前は、すごいよ。尊敬する」
と、5年前くらいに言われた。
当時は「は?みんなそうでしょ」と思ってたけど、
社会を眺めてみて、この感性の有り難みがわかった。
好きなモノが明確にある人って意外と少ない。
かわいそうに。
私はこの「好きなモノを好きでいる才能」に幸いにして長けているから、
これが仕事や創作活動に生きればいいんだけど、
そうも上手くいかないし、もう30だし、
色々焦りますね。
もっと言うと、私は人からよく「人の好き嫌いが多い」「NG人物が多い」とか言われるけど(正しいので言い返せない)、
嫌いな人の数だけ、好きな人もいるんだよと
少なくとも好きな人たちには伝えておきたい。