明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

1番になる以外の生き方

29年、東京から出たことのない、狭く凡庸な人生を生きてきたので、
「1番になること以外、人生に価値はない」と思ってきてしまった。

あれ?ココでは1番になれない!やばい。居場所がない!と感じたのが、
(前に書いた)自分がアスペルガーだと思い始めるきっかけに他ならない。
ココというのは、今の職場である。

今なら、そう簡単に1番になれるほど世界は狭くないことと、1番になれることばかりやって生きていけるほど人生甘くないということが、ようやく理解できるようになった。
でもとにかく今いる会社に入ってからは、1番になれないのが苦しくて苦しくて仕方なかった。

 

思えばこれまでの人生、とても狭い世界で、色んなことで1番、とは言わないまでもまぁまぁ上位集団に入れてきたように思う。
大人になって気づいたけれど、これは1番になるほど才能があったわけでは全くなく、
1番になれる分野を探す嗅覚がたまたまよかっただけにすぎない。

負け戦はしないというやつだ。

こう書くと自分に自信が満ち溢れた人のようだが、実は真逆で、
昔から自分にまったく自信がないから(それはどの分野で、とかではなくて、容姿から何から全部含めて自分という存在自体への評価が低い)
1番をとることでしか、自分で自分の価値を認めることができないという、
大変面倒な思考がクセになってしまっていた。

何しろこれまではとても恵まれていた。
好きな音楽でちょっとだけ活躍したり、得意な文系で受験をし、やりたい研究をやって卒論を書いた。
恵まれすぎていた。

望んでいた業種の会社にも入ることができたが、畑が違いすぎて、思い描いていた夢とは程遠い世界。
分からないなりにやってきたけど、自分の才能のなさに愕然とし続けた。今までずっと、7年ほど。

なんで自分ばかり毎日終電まで残業しないと終わらないのか?
なんで自分の企画は全然通らないのか?
なんでこんなトラブルが起きてしまったのか?

自分を責める、というよりも、"自分にがっかりする"という表現のほうが近い、とにかく虚しくなるばかりの7年間だった。

ココにいては、1番になれないどころか、落ちこぼれじゃん。
落ちこぼれなんて今までなったことがないから、どう立ち居振る舞ったらいいのか分からなかった。

慌てて転職アドバイザーみたいな人に話を聞いたけれど、何のスキルもなくつぶしのきかない業種なので、今よりいい待遇の会社はないですねと言われた。

そうやって疲弊しているうちに「夢」も忘れてしまった。
本当は自分は何がしたかったんだっけ? どこに行けば1番になれるのか? 何もかも、まったく嗅覚が反応しなくなってしまった。

 そのうち、ここではないどこかへ行けばまた1番になれると思っている自分、がもはや可哀想に思えてきて、松屋で牛丼を食べながら泣いた。

 

2~3年前に読んだ「うつヌケ」という本に、こんなことが書いてあった。

うつ病になってしまうのは、自分を嫌いになってしまうから。

医学的な意味でなく、この言葉を読んでドキッとした。
こんなに自分に呆れ続けていたら、いつか私もうつ病になるかもな~…とぼんやり思っていたら本当になってしまった。

これからの人生、1番になる以外の生き方を考えなければいけない。
もういい歳の大人なんだし、自分のことくらい自分で面倒をみてあげなくては。いつまでも呆れている場合ではない。

奇しくも「うつヌケ」を読んだのと同時期、Jリーグにハマった。
サッカーは本当に色々なことを教えてくれた。

点を取る人だけがすごいのではないこと。

同じようにトレーニングして同じように努力しているのに、試合に出られない選手の悔しさは計り知れないということ。

それでも腐らずに努力を続けるしかないこと。
(ちょうど初めて推した選手がなかなか試合に出られず、結局契約満了で移籍になってしまった。彼のブログからは数え切れない教訓を得た)

怪我という抗えない敵と常に戦っていること。怪我をしても自暴自棄にならずにリハビリを続けること。

プロサッカー選手なんて、私なんぞの5億倍ほど、1番ばかりとってきた人生だっただろう。
地元では神童と呼ばれ、中高サッカーでその名を轟かせ、プロ入り。
それでも思うように結果が出ない、どころか結果を出すチャンスすら得られないまま、選手生命が終わっていく人だっている。

そんな彼らを見ているうちに、大げさじゃなく、生き方を考えなければという思いが湧いた。
1番になることは素敵なことだけど、1番になることだけが人生ではないと教えてくれたのは、サッカーだった。

 

という訳で、休職期間を終えたら、1番になる以外の方法で輝ける、
もしくは輝けなくてもいいから自分で自分を認めてあげられる、働き方や生き方ができるようになりたいと今は思う。