大きく分けて音楽とサッカー観戦という2大趣味のうち、コロナにより後者もまあまあ奪われたが前者にいたっては2020年、ひどかった。
この10年ほどほぼ毎週末、楽器を背負ってスタジオに入っていたのに、ついに1年間通して一度も楽器ケースのファスナーを開けることがなかった(まだ開けてない)。
もっともこの2つの趣味はかなり性質が違っていて、言い方は悪いが、サッカーはただ、行きゃ見れる。
さらに今年はほとんどがDAZN観戦だったから、ベッドに寝転がりながらスマホぽちーですぐ楽しめた。
(見ながら泣いたり笑ったりハラハラしたり忙しいというのを差し引いても)
受動的で、苦労を伴わない、大人になって出会えてよかったと思える、自分を癒してくれる趣味だと言える。
対して音楽については奥が深い。
音楽も行きゃ見れるし、聴きゃ楽しめるという意味では即時的、受動的な趣味と言えるけれども、
演奏を始めてしまったから厄介になった。バンドを始めた12年前から、音楽は少なくとも自分を癒す趣味ではなくなった。
大酒飲みや喫煙者が羨ましいのは、即時的に、苦労なく(知らんけど)自分を癒すテクニックをいつでも、自分の意志で出動できるところだ。
私は酒もたばこもできないので、「いやーうらやましいすよー、私も鬱憤とか晴らしたいですよー」と言うと大抵の人は何もわかってないので
「バンドがあるじゃん!演奏してると楽しいしスッキリするんでしょ?」
とか能天気なことを言ってくる。
おいおい。楽しいわけあるかよ。遊びじゃねえんだこっちは。(※遊びです)
30にもなって、みんな結婚したり子どもを産んだりしている横でバンドとかやってるなりに、この年末、考えたことがある。
「音楽が好き」には種類がある、ということだ。
私はこれに気づくのに30年かかった。そのせいでたくさんの人を傷つけたり暴言を吐いたりしてきたことを本当に反省しています。
自分の感覚以外の感覚って死ぬまで(死んでも)分からないものです。顔面と一緒で。
気付かせてくれた12/29の皆さん、感謝してます。
たぶん、世の中の「音楽が好き」のうちこのくらいの人は、「Listen to」音楽が好きであって、大人にもなって演奏を(誰に頼まれるでもなく好きで)やってる「Play」音楽が好きな人はきっと、このくらい。
で、ムラサキの中でも3つの派閥に分かれていて、
①受容優位の演奏者
②創出優位の演奏者
③筋肉の喜び系演奏者
というのがいる。割合は不明。
自分は①of①、国内でもかなり過激派な①だと思うし思われているしよく言われる。
音楽を通して表現したいこととかはないし、創作能力も創作欲もない。
ただ音楽を聴いて、砕いて、コピーするのが好き。
原曲信者。音源主義。
ライブで原曲と違うアレンジとかされると萎える。
だから①の人にとって演奏という行為自体、聴覚の喜びを倍増させるためのオマケにすぎない。
②と③については味わったことのない感覚なので分かりません。誰か詳しく聞かせて。興味あります。
ただ私の想像では、④という「音楽そんなに聴かない演奏者」という層もたぶんだけど存在するのだと思う。
他人のつくる音楽はどうでもいいです。とか
別に好きじゃないけどなぜか弾けちゃうからやってる。あるいは
職業として、自己表現とかは横に置いて、求められる音楽をただストイックに続けている(ドラマーに多いらしい)。
趣味はバンドです、バンドやってます、と言い続けてきたけれど、本当はかなりキツい。
きつくてきつくて、たまに徹夜とかして、誰にも読めない譜面を書いたり、タクシーの中で辛うじて進行だけメモっていってスタジオでメンバーに呆れられたりしながらも、なんでバンドをやめないんだろう?
正直、バンドをしに行ってるんじゃなくて、スタジオ後の焼肉を食べに行っているような日もある。
みんなに会いに行くのが主目的な日もある。(これはほぼ毎回)
でもバンドをとったら自分には何も残らないから…
仕事が忙しくて気が狂いそうな時こそ意地でも週末のスタジオには行った。仕事だけの人間になってたまるか、もうひとつの居場所を失うもんか…みたいな…(アハハ…)
苦労がハンパない分、バンドをしているぞ!という意識だけでも、自分のアイデンティティになってくれてたらいいんだけど。