2度目の休職が現実味を帯びてきた。
主治医の先生とはずっと話してたことだけど、心のどこかでまあ無理だろう、来月も再来月も仕事入ってきてるし、
と思っていたが、
今日上司に「休んだら?」と言われた。
どうやら働いてるテイになってるのに夕方のろのろと出社したり、日中に連絡が取れないことが相当、やばいらしい。
(その上司にとってストレスなんだろう)
自分としては日中にそんなに求められてる記憶もないし〆切は守りながら何とか綱渡りしてきたつもりだったけど、
上司から見たらこの働き方は働いてることになってないようだ。
だから休むなら休んでほしい、という真意が透けて聞こえる言い方だった。もちろんこの100倍くらい優しい言い方だったけど。
前回の休職は初めてだったので1ヶ月間何をしていいか分からなかったうえに、結果、なにもせず寝てたら1ヶ月間経っていたという感覚だった。
今回休むならもっと建設的に休みたい。
好きだったものを感受できる感性を取り戻したい。
まずは好きだったものにきちんと触れて、向き合いたい。
この病気にかかってから、ライブを見ると翌日高確率で寝込むのがまあまあ悩みだった。
感動したり刺激を受けると、心身ともにまともに喰らってしまう。
それがどんなに穏やかで楽しいものでも。
感受性のキャパシティが激狭(げきせま)になっている。
思えば元気だった10年前、就活でエントリーシートに「好きな映画」を書かなくちゃいけなくて、
真面目なのでとりあえず名前だけ知ってた「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と書いて、きちんと鑑賞することにした。
TSUTAYAで「当日」で借りてたのに夜がっつり寝てしまい、朝4時に起きてリビングでガタガタ震え涙と鼻水を流しながら何とか見終えて、
そのまま元気に大学にいったりしていた。
なんという精神状態。タフすぎる。
今なら思い出しただけで半日は寝込む。丸々見返したら1週間は棒に振るだろう。
若かったのもあるけど、元気とはそういうことだ。
元気があれば何でもできるし、元気がないと、何もできない。
これに気づくのは大抵、元気じゃなくなってからだ。
壮年期まで元気で過ごす人は、歳をとって老化により身体が思うように動かなくなった時などに、この言葉の意味を知るんだろう。
私は人より知るのが早かった分、ラッキーでかつ、やるせない、絶望ほどのパワーもない、ヨロヨロした精神状態でこのところを生きている