明るいうつ病患者の休み方

失敗記録とその言い訳集(?)。パニック障害・抑うつの症状と治療法については素人知識です。

うつ病の一番嫌いなところ

本当はブログなんて書いている場合ではない。

もっとも今日は本来なら出社すべき日だったが、体調が悪くて家で作業していた。

こんなブログを書いている間にやるべきことはたくさんあるし、
その「やるべきこと」の期日が来たとき(明後日)、何の足しにもならないブログを書いているこの数十分を後悔するだろう。

それでも書いてしまうのは、ブログを書く以外に何をしたらいいのか、まったく分からないほどに、判断能力が落ちてしまったからだ。

ブログを書いていると安心する。無心になれる。

「ものを考える」ことが一時的にできるようになる。

 

この3連休、引きこもっていたわけではないが、出かけなくてはならない用事の5分前までベッドから出られなかったし、もちろんメイクもできず、風呂にも入れなかった。

食べられないよりは食べすぎるほうがましだろう、と言い聞かせて食欲のままに食べ続けては、眠り、その繰り返しで、寝すぎて尻が痛くなった。

たった1日(今日)、会社に行かなかっただけで、明日から自分が何をすればいいのか、もうわからなくなってしまった。

組織から取り残された感じだ。出社しなかった自分が悪いのだけど。

 

眠りと眠りのあいだ、暇なので、考えなくてもいい色々なことを考えた。

またこれだ。大抵、余計なことを考えて不安が爆発して、発作が起きたり吐いたりする。

今回もそうなりそうだった。母親や姉や、仲のいい数少ない友達に、「鬱がつらい。助けて」と連絡しようかと何度も思った。

でも、連絡したところでどうなる?

たとえばうちに来てもらったとしても、どうせ眠剤でも飲んで眠るだけだし、コンビニまで歩く体力はまだあるし、
電話で話を聞いてもらうにしても、話すほどの出来事も起きていないし、
つまり助けの求め方がよくわからなくなってしまったので、誰にも連絡するのをやめた。

(かわりにこのブログを書いている。落ち着く)

 

少し大きな仕事を任せてもらったと思ったら、一山超えただけで鬱が襲ってくる。

来月には趣味の大きなイベントもある。
正直、キャンセルしたいが、できない。

人と会う約束もいくつもしている。
なんで後先考えず約束なんてしたんだろう、という考えと、こんな「後先」が待っているなんて数週間前は思いもしなかったという恨みが、交互に浮かんでくる。

 

うつ病患者の仲間がいるわけではないので他の人の事情は知らないが、おそらくこの身体にしては、精力的に生きている方だと思う。

だけど、この身体で叶えられる夢や、成し遂げられる目標や、行ってみたいところ、会ってみたい人、そういうものが全部、諦めを伴うようになってしまった。

元気だったころ、「この人のために頑張りたい」とか、「この辛さに耐えた先で叶えたいもの」とかが、たしかあったような気がするが、すっかりなくなった。

死にたいとはまったく思わないしそんな怖いこと、とてもできないが、何にも意欲を感じず、情熱を持たずに生きていくには、暇すぎるなぁと思う。

 

ここ数日、優しい上司に気を配ってもらって遅刻や早退を繰り返して、これでもかというほど休んだのに、
休んだからハイ回復、とはいかずに、逆に妙な不安に取りつかれてしまうのが、
この病気のもっともイヤなところだ。

以前、会社員時代に1ヵ月休職をして、さぁ復職という朝に、エネルギーがみなぎってきたという話を書いた。

そんな日が又、来るだろうか?なんか、来る気がしないけど。

病人

自分的大仕事をひとつ終えたのが先週末。

解放感で嬉しくて翌日は3時まで飲んだ(茶を)。

平日が来て、普通の日々が戻ってきたと思ったら、めちゃくちゃ体調が悪くなってしまった。

まずは肉体がおかしくなって、出張帰りの飛行機の椅子が石のように硬かった。

硬いのは椅子ではなく自分の腰だった…

羽田からその足で整体に駆け込んで事なきを得た。

つもりだったが、一向に疲れが抜けない。

もう1週間以上経つが、会社には毎日遅刻し、早退もし、この土日は寝たきりだった。

さらには、本当にお風呂に入れなくなった。

これは鬱がひどくなったな、と思った。いつまででも眠れる。

そして恐ろしいことに、食欲が爆発している。

こんな時間に出前館でステーキを頼んでしまった。

過眠はわかっていたけど過食まで。

動かないのに食べる。また太ってしまう。

 

明日からは働けるだろうか。

起きれるだろうか。ちょっと頑張りすぎただけで、すぐに病人に後戻りだ。

 

追記

寝たきりといっても少しは眠らずに横になっているだけの時間もある。

そんなときに毒にも薬にもならない100%時間の無駄!と言い切れるまとめサイトばかり見ている。

意味のある情報が受け付けられない。

これじゃ仕事ができないじゃないか。

いい加減に認めよう

自分は仕事が好きなんだということ。

ここ数日、調子が悪い。
趣味でやっているバンドが忙しく、考えなければいけないタスクが多いうえ、メンバーたちと反りが合わず、ずっとイライラしている。

前から薄々というか普通に思ってたけど、この趣味が"実る"場面は、別に来ない。
たとえば尊敬する人に評価されたり、ちょっと名前が売れたり、素敵なライブに呼ばれたり、することはいつかあるかもしれないけれど、
おのおのが今やっている仕事を辞めてバンドに専念する日なんて、来ない。

少なくとも私はその熱量で取り組んでいないし、練習量もまったく足りていない。

だったら辞めちゃえば、と思った。

今度あるライブを最後に、所属しているバンドのひとつを辞めようと思う。

 

今までバンドを辞める勇気がなかった。

日常の大半を占めていた仕事。その仕事がうまくいかなくて、仕事で輝けなくて、そんなダメな自分は本当の自分じゃないと思い込みたかった。
本当の自分は週末にバンドをやっているときの自分だ、ということにしたかった。
だから意地で辞めずにここまで来た。

だけど、いよいよ本当の自分を認めてやりたくなった。

仕事が好きなんだった。
日常の大半を占める仕事、に打ち込む自分。でいいじゃないか。
いま、素直にそう思う。仕事が楽しい。

輝けてるかはわからないし、もはやどうでもいい。
今はもう、趣味をしている「もうひとつの人格」を必死で仕立て上げなくても、気が済むようになった。

単に歳を取ったからかもしれない。病気のせいかもしれない。
趣味を楽しむエネルギーがなくなってきた、と言えばそれまでだけど、
仕事を楽しめている今の自分を大切にしたいから、欲張りをやめるという感覚が正しい。

ひとつのバンドを辞めてもバンド活動そのものをしなくなるわけではないし、音楽が好きなことに変わりはない。

このバンドで過ごすラスト2ヵ月をどう過ごそうかな。

精神科に転院

先日紹介状を持って初めて精神科に行き、無事に転院がうまくいった。

前の病院の先生との別れはつらいが、もう大人なのでそんなことばかり言ってられない。

精神科で私の主治医になってくれた先生も、前の病院の先生同様、とてもじっくりと話を聞いてくれる穏やかな先生だった。

結論、鬱が再発したっぽかったという予感は外れではなく、抗うつ剤を再開した。

眠い。この眠気だった。私を苦しめたのは。

おまけに今朝は会社に行きたくなくてウダウダして、ついに体に鞭打って歯磨きを始めたら発作のようなものが襲ってきて、すごいめまいと耳鳴り、発汗、慌てて歯ブラシを置いて横になったがそのあと少し吐いた。

何だったんだ、そんなに会社に行きたくなかったのか。

こういうのが時々起きるから恐ろしい。

明日先生に聞いてみようっと。

音楽が好き、ではない

syrup16gの鈍器と呼ばれるこの本を読み始めた。

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2002年から2023年まで「音楽と人」に載った彼らのインタビュー記事を1冊にまとめた本で、いま、2003年5月号の「HELL-SEE」のインタビューまで読み終わったところだ。

リアルタイムではまだsyrupのことを知らなかったし、2003年ということは私は12歳なので当然、当時の記事は読んでいなかった。

で、すごい楽しみに。「HELL-SEE」や「coup d'État」がどうやって出来たか、1曲1曲について詳しく知れると思って読み始めたのだが。

全然知りたいことが書いてない。

音楽雑誌ってこんな感じだったっけ。

五十嵐の言葉は抽象的で、曲単位の解説はおろか、アルバム全体のコンセプトについてすらまともに語られていない。

そうか。

音楽と人が彼らに行なってきたのは、作品インタビューではなくて、パーソナルインタビューだったのか。

五十嵐の思う「地獄」や「切なさ」や「生きること」については、読んでいてたしかに何となく理解できた気がする。とても曖昧だけど。

 

私は音楽編集者になりたくて、今も諦めていなくて、隙あらばミュージシャンの面々に営業したり、しているつもりだが、

この本を読んでいて、「私がやりたいのはこういうことではないな」と漠然と思った。

私が好きなのは「音楽」ではないかもしれない、とまで思った。

昔から薄々感じていたが私には「アルバム全体の世界観」とか「一貫性」みたいなものを聴き取る力が欠落していて、どうしても1曲単位でしか音楽を聴くことができない。

それって音楽編集者には致命的な欠陥だ。

私が好きなのは「曲」だった。

だからこの曲がどう生まれて、なんでこの歌詞がついて、このイントロのフレーズなのか、とかそういうことが知りたいと思う。

でも世の中の多くの人は違うらしい。音楽雑誌がそれを示している(言っても20年前の記事を読んだだけだが、たぶん今もそう)

私がなりたいのは何なんだ。

20代は仕事に追われてやりたいことを忘れてしまっているうちに過ぎ去り、

やりたいことを思い出すために会社員をやめたが、

30代のいま、やりたいことがわからなくなってきた。

辛い。

お別れ

syrup16gのライブを見てたくさん音源を聴いて気分はすっかりうつ病患者な状態で(身体は先週に比べてだいぶ調子がいい)

今日は通院だった。

早い話が、通い慣れたこの病院に来るのは今日が最後になった。

最後の診療を終えたところだ。

新しく精神科に通い始めることになり、前回の話ではしばらくは2院同時進行で通うことにしましょうということになっていたが、

新しい病院が2院に通うのはダメだと強めに言ってました、と今日先生に伝えたところ、

では今日をもって転院にしましょう!とあっさり言われた。

先生にとっては患者を1人見送るくらい、日常茶飯事だろうが、

こっちは3年半、死にそうな時期を救ってくれた大切な恩人である先生に、突然さよならと言われても、困る。

病室を出るとき、お元気で!と言われ、涙をこらえた。

 

辞めた会社に勤めていた頃は、お昼くらいによく通院して、歩いて帰社できる距離の通り道にあるバナナジュース屋さんでよく買っていたなとか、

辛くて辛くて、早く通院日が来ないかと祈るように過ごした日々のことなどを思い出しながら、

この立派で大きな病院で過ごす最後の時間として、1階でお弁当を買って、ゆっくり食べた。

先生、さようなら。再発してしまった気がするけど、先生に診てもらった3年半は無駄じゃなかったと信じています。

 

健康になりたいなと

今日は「このライブに行けなかったら一生後悔する」という気持ちを強く持って、きちんと予定した時間通りに退勤し、18:58に豊洲PITに無事到着して、syrup16gのHELL-SEEツアー初日を見てきた。

ちなみにsyrupのライブを見たのは3回目、前回は1年半ほど前のコレだった。

acidsignal.hatenablog.com

1ヵ月続くツアーだが、今日しか行ける日がなかった。地方に見に行こうにも全部平日で、唯一の日曜日開催の横浜公演は先行に3回落ち、一般もスマホとPCの2台持ちで挑んだけれど取れなかった。

20年前にリリースされたこのアルバムを、私は17年前くらい、高校1年生のときに聴き始めて、以降、人生をともにしてきた。

…わけがない。

こんな暗いアルバムを日常的に聴いてたらまともに生活できない(今は。若い頃はできていたから空恐ろしい)

syrup16gは本当に大好きだが、普段聴いてしまうと心身のリズムが狂って現世に帰ってこられなくなるので、極力聴かないようにしている。

 

なので今回のツアーも、発表された瞬間に行くことは決めていたが、あえて予習、もとい復習はまったくしないで今日を迎えた。

イントロから歌詞から何まで脳に染みついてはいるものの、やっぱり曲順がおぼろげだったり、「そうだった、この曲もあった」と思い出したりもした。

 

そんなことはどうでもいいくらいに、今日の私には強烈な目的があった。

『HELL-SEE』の7曲目に入っている、『(This is not just)Song for me』という曲が、誇張でなくこの世でこの人生で一番好きな曲だ。

こんなにも「美しさ」だけで出来ている曲を、他に知らない。

この曲をライブで聴く機会がないまま、バンドは解散し、解散ライブでもやらなかったので、もう死ぬまで聴けないと思っていた。

このツアーが発表されたとき、「死ぬ前の願いが1個叶うな」、と大げさでなく思った。

 

だから今日は正直、この曲を聴きにチケット代を払い、豊洲まで行ったようなものだった。

この曲だけ聴ければあとはどうでもよかった。

 

ライブが始まる。1曲目、イエロウ。2曲目、不眠症

このあたりまでは記憶していた。「あとはどうでもよかった」と書いたが、実際は1曲目から懐かしさ(だって復習してこなかったから)と、五十嵐が50歳になって人前に立って歌っていることの感慨で、かなりグッときていた。

目当ての曲が7曲目だとは記憶していなかったので、だんだん曲が進むにつれて、「そろそろ次かな」「あのイントロ鳴るかな」とドキドキしていたが、

いざ待ちわびたイントロが始まると、音源の繊細さとは程遠いけれどあの美しいアルペジオと、不安定なボーカルで、一生に一度、やっと、『(This is not just)Song for me』を聴くことができた。

音楽は時間芸術なので、当然曲ははじまり、終わりが来る。

泣きながらライブを見ることはたまにあるが、2番くらいに突入して、「もうすぐこの曲が終わってしまう」悲しさで泣いていたのは初めてだった。

この曲が終わったあとも、もう終わってしまった、もっと集中して聴けばよかった、悲しさでまた泣いた。

 

そんな具合で1曲入魂しすぎていたので他の曲はぼんやり聴いていた部分もあったが、それでもあまりに自分の脳や記憶に染みつきすぎて、ぼんやりしてもいられないタイミングがいくつも訪れた。

 

このアルバムに初めて心酔した頃の自分はうつ病でなかった。今の自分は、うつ病である。

3年半、治療を経験しながら、ずっと五十嵐のことを考えていた。

『シーツ』という曲に、"いつか浴びるように溺れるように飲みたいよ"という歌詞がある。

うつに罹るまで知らなかった。抗うつ剤を服用している人は、お酒を飲んではいけないこと。

『Hell-see』には"健康になりたいなと隣の奴が言う"とある。

健康になりたい。この一言がこんなに切実な響きをもって聴こえてくるとは想像していなかった。

"使えないものは駆除し、排除されるよなぁ"。これは『正常』から。

先週、久しぶりにパニック発作を起こしそうになったときに、ずっと考えていたことだ。

今ならわかる。20代だった五十嵐がどんなに血を吐くような思いで(実際、『吐く血』って曲もあるし)作品をつくって、録音して、世に出したのか。

不安や恐怖や、朦朧とする意識や、痛みと戦ってきたのかも今なら想像がつく。

だから、今日、"これは僕の作品です、愛すべき作品です、誰に何言われても怖いものなどありません"と五十嵐が歌ったときに(『ex-人間』)

大きな声でワッと泣いてしまいそうになった。

あなたには才能がある。あった。だから

"30代いくまで生きてんのか俺"(『I'm劣性』)

50歳になってステージに立ってくれて本当に嬉しかった。

 

うつ病になると希死念慮とかとは関係なく、普通に冷静に、「生きていけんのかこれ?」と不安になって、淡々と死について考える機会が増える。というか考えざるを得なくなる。

それは仕事を続けられなかったり、貯金が底をつきたり、孤独だったり、といった理由から。

五十嵐が歌詞に書いた苦しみがちょっとでも分かるようになった今、50歳でこのツアーをやろうと決めた彼の心意気を想像するだけで泣けてくる。

 

豊洲PITからの帰り道、何年かぶりにシャッフルでsyrupを聴きながら歩いた。

あまりのめり込むと明日の仕事に響くうえ、明日は通院だ。

今日のことは忘れたくなかったので今日のうちに書いた。

ここまで書いて今あらためて、世界で一番好きな曲を、もう恐らく二度とライブで聴くことができないんだと想像して、悲しくて涙が出そうになる。

泣いてないでもっと集中して聴けばよかった。

 

追記:

今日は立ち位置も運も悪くステージの上はほぼ何にも見えなかった。五十嵐のダンス(したらしいじゃん)も見えなかったし、演奏中の姿もほとんど見えなかったので、下を向いて泣いたり天井を見上げたりした。

ステージから去る仕草も全く見えなかったから、大樹ちゃんが五十嵐をおんぶしている光景を思い出したりしていた。